『平成文学・私史』浦澄彬 著
第2章 昭和64年=平成元年前後の文学系学生事情など
その1
「バブル真っ最中にあえて民間を受けずに競争倍率過去最高の教員採用試験に挑むバカ」
1989年、つまり昭和64年=平成元年、筆者は大阪芸術大学を卒業して、社会人として仕事をしながら小説修行を続けるつもりだった。ちょうどそのタイミングで昭和64年が年始7日で終わり、1月上旬からいきなり平成時代が始まった。筆者の同世代は、文字通り時代の狭間に青春を送ったということになる。
新しい平成元年、大学卒業する前に、すでに就職浪人が確定していた筆者は、同学年の友人たちよりも1歩出遅れていたのだが、それほど危機感はなかった。実のところ、教員採用試験に大学4年生の夏、見事に落ちたのだが、次は受かる、と根拠なく信じていたのだ。卒業後の1年間は、高校の非常勤講師と、大学時代4年間続けた塾バイトを続けるつもりだった。それも、まだ実家暮らしの気楽さで、衣食住に不自由ないままだったからできたことだと、今ではわかっている。
高校の非常勤講師の口はこの当時、いくらでもあったのも事実だ。筆者も大阪府教委と大阪市教委、それに大阪府教委の私学課に講師登録したあと、さっそく私立高校数校と、大阪市立の高校から講師の求人があった。
そこで、私立学校の方にまず面接を受けに行き、仮採用が決まった。その学校は上本町近くに昔からある有名校で、面接では気楽に自分の大学生活のエピソードなどをペラペラしゃべった。あろうことか、教員免許取得予定の国語以外に、社会科で「倫理社会」の授業もできるなどと、ほとんどはったりで言っていたのだから、今にしてみれば呆れたものだ。それも、この当時、ニーチェを数冊読んでその思想にハマっていたというだけのことだったのに。
結果的に、その後連絡を受けた大阪市立の高校の方が勤務先が近かったので、ただそれだけの理由でそちらに決め、せっかくの私立高校の方はお断りしてしまった。
今にして思えば、その私立高校はなかなかの進学校だったので、そちらを選んでいたら今ごろは小説を書いたりする余裕もなく、受験指導と部活指導に明け暮れる典型的な高校教師生活を続けていたかもしれない。おそらくは、ここで人生の分岐点があったわけだ。
それはともかく、平成元年の4月、大阪市立の東淀工業高校(現在は大阪府立に移管)の非常勤講師、塾講師、家庭教師も1件引き受けて、なかなか多忙な生活が始まった。そのせいで、この間、ほとんど小説創作に割く時間はなかった。
※補足
大阪市立(現・府立)東淀工業高校についての最近の話題
(1)
「溶接甲子園 東淀工3年・高橋さん、女子で初V 2年時の悔しさバネに成長」
毎日新聞2024年9月12日
https://mainichi.jp/articles/20240912/ddl/k27/040/236000c
《8月に愛媛県であった第8回全国選抜高校生溶接技術競技会in新居浜で、府立東淀工業高機械工学科3年の高橋澪(みお)さん(17)が被覆(ひふく)アーク溶接部門の最優秀賞を受賞した。同大会は2部門あるが、両部門を通じて女子生徒のトップ受賞は初めてという》
(2)
大阪府立の工科高3校統廃合へ…2025年度より募集停止
リセマム2023年8月30日
https://resemom.jp/article/2023/08/30/73597.html
《すでに大阪市立の高等学校等移管計画における再編整備対象校となっている生野工業高校・泉尾工業高校・ 東淀工業高校の3校統合ついては、新たな工業高校を現・東淀工業の校地内に設置し、2028年度より募集を開始予定。これにともない、小規模化が進んでいる生野工業は2025年度に募集停止、泉尾工業と東淀工業は、新工業高校(仮称)の開校にあわせて募集を停止する予定》
大学卒業後最初の職場となった大阪市立東淀工業高校では、国語の担当なのになぜか図書準備室に机を与えられ、そのせいでいろいろとやっかいな目にあいそうになった。だが元々が腰かけのつもりしかないため、職場に深入りすることなく、とりあえず受け持ちの授業だけなんとかこなしていた。
それでも、音楽活動だけは多忙の合間をぬって熱心に続けた。大学在学中からずっと続けていた市民コーラスへの参加があり、出身高校である大阪府立春日丘高校の吹奏楽部関連の活動も続けていた。具体的には、現役の高校生の吹奏楽指導に行ったり、OBOGバンドの練習に参加したり、といったことだ。
せっかく音楽活動をやっているのだから、勤務先の高校で音楽系部活の指導などができればよかったのだが、あいにく、勤務校の部活には、吹奏楽部もコーラス部もなかった。だから、音楽については趣味でずっと続けていくだけになっていた。
そんなわけで小説を書く時間はほぼなかったのだが、文学の研究を断念したわけではない。ちょうど1989年、平成元年のベストセラーランキングには吉本ばななが複数入り、村上春樹の『ノルウェイの森』もベストセラー10位内に入っていた。けれど、実のところ、この当時はまだ村上春樹に深入りはしておらず、吉本ばななのことはむしろバカにしてほとんど読んでいなかった。筆者の平成元年当時の愛読書は、相変わらず欧米の19世紀小説や、SF、ミステリー、日本のハードボイルド小説などだった。
そのほか、高校の国語教師を目指している必要上、古典の原文をなるべく読もうと心がけていて、大学4年生ぐらいからずっと、「平家物語」「源氏物語」「枕草子」「徒然草」などを文庫でせっせと読んでいた。その影響で、筆者の大阪芸大の卒業制作小説(卒論の代わりに文芸学科は創作を完成させ提出することが可能だった)は、タイトルを「夢の浮橋」とつけたりしたものだ。小説の内容は、「源氏物語」とは全く関係ないものだったが。
そういえば、この卒業制作「夢の浮橋」のアイディアの原点は、筒井康隆の小説『夢の木坂分岐点』だった。この当時、筒井は文学の流行でいえば、やや軽んじられつつも注目されているという感じで、ちょうど80年代半ばに『虚構船団』で文壇に物議を醸し、まさに平成2年、『文学部唯野教授』で大学に喧嘩を売る時期だった。
第1章に書いたように、筆者は80年代前半、主に古本屋で小松左京や筒井康隆の文庫本を買い漁り、熱中していた。新潮社が筒井康隆全集を出したタイミングで、大学の図書館にそれを見つけて、これ幸いと片っ端から全集バージョンの筒井作品の再読をやっていた。その流れで、卒業制作の前にメタフィクションの傑作群、『虚人たち』や『夢の木坂分岐点』を読んで、自作に応用しようと試みたのが拙作『夢の浮橋』だった。
本作は、実のところ、大阪芸大の卒業制作としては全く評価されず、ただ卒業単位を満たすのみだった。卒論の担当教授は、「君の小説を出版できないか聞いてみてあげる」などと言ってくれたのだが、結果的にはリップサービスにすぎなかったわけだ。
今でも、若書きの意欲作『夢の浮橋』はわれながらよくできたメタフィクション中編だと考えていて、いずれリメイク版を電子書籍で刊行する予定だ。現在、筆者の考えている「マルチバース小説」の一つとして、先月上梓した『ラスト・ロマンティスト』(デビュー小説「パブロのいる店で」改稿)の続編としてリメイク中だ。
(次回に続く)
※参考
浦澄彬の小説『ラスト・ロマンティスト』
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/12/21/210349
99年刊行の小説『パブロのいる店で』を全面改稿、続編小説を合体させ完全新作として上梓。
bookwalker版
https://bookwalker.jp/de6b98d595-5a39-4ba6-b106-871ca3970b54/
楽天kobo版
https://books.rakuten.co.jp/rk/d97e6301397e3e1989ee9a95aa641fc8/?l-id=search-c-item-text-02
Kindle版
https://amzn.asia/d/iB70LPA
紹介
《本作は、1999年刊行の小説『パブロのいる店で』を全面改稿し、その続編として用意していた小説を合体させたものである。したがって、かつてKindle版で刊行した新版「パブロ」というべき小説「1989年」とは、別の作品だと考えていただきたい。
この本について一つ、奇妙なエピソードを紹介したい。学生時代からの旧友が二〇〇〇年代当時、仕事でタイのバンコクに赴任した。彼は、バンコクの日本語本を扱う古本屋で、小説『パブロのいる店で』を見かけた、というのだ。一体どこの誰が、遠いタイにまで拙作を持参し他のか? そしてまた古本屋に売られたあと、その一冊の『パブロのいる店で』はどうなったのか? 誰か奇特な好事家に買われていった? それとも売れ残りとして、南国のゴミ箱に捨てられ燃やされて消えた? まことに、本というものは、一度世間に出ると、不思議な運命をたどるものなのだな、と感じ入った。
2024年12月
浦澄彬
Akira Urazumi 》
前段まで
第1章完結 『平成文学・私史』(浦澄彬 著)
第1章「平成時代直前の文学部系大学生」
その1「小松左京とニアミスだった大学入学・有名人の多い大学」
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/10/30/143121
その2 「芸大生の文学活動」1
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/11/01/230454
その3 「芸大生の文学活動」2
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/11/03/110844
その4「芸大生の文学活動」3
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/11/07/181615
その5「芸大生の文学活動」4
https://doiyutaka.hatenadiary.org/entry/2024/11/17/141258