浦澄彬のエッセイ
「丙午(ひのえうま)学年とその前後」
自分も含めて今の中年より下の世代は、根本的に左翼系思想への無理解・無知・蔑視が根付いてしまってる。だから、国政選挙で自公・維新以外の選択肢をリベラル政党連立に求める意見は、頭から否定される。だが、そうは言っても今の日本政治の最悪の部分は、保守層の絶望的な時代錯誤的感覚だ。本当は、高齢者から幼児まで、いまだ人権教育からやり直すべき段階でしかないのだ。
以下のことはもっと知られるべきだが、今の50代を境として公立の学校教育の中で決定的に変わったものは、新教育課程である。我々ひのえうま学年より上の世代までは、小中高通じて学習内容がもっと多かった。それがひのえうま学年から導入された新課程で、その後のゆとり教育にもつながる学習内容の削減が始まった。
※文科省資料 学習指導要領等の改訂の経過(5) 昭和52年の改訂を参照
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/__icsFiles/afieldfile/2011/03/30/1304372_001.pdf
このことと、左翼系思想への無知・無理解とがどう関係するのかはこれからの研究の課題となる。相対的に学習内容が薄くなって体験学習みたいなのが多くなり、人文系も理系も知識量が減ったことと、新自由主義や保守原理主義的な単純明快な発想への親和性が高まっていったこととは、どこかで繋がっているのではなかろうか。
並行して、我々ひのえうま世代には奇妙に戦争美化の傾向がみられた。その象徴的な表れとして、悪名高い「新しい歴史教科書を作る会」や、当時大人気だった小林よしのりの「ゴー宣」などへの傾倒があったと考えている。ひのえうま世代の多くは、左翼系思想にきちんと触れる機会がないまま、保守原理主義的な景気のいい政治や文化活動に惹かれていく流れがあった。
そこに、さらに東西冷戦終結とソ連崩壊という決定的な価値転換も重なったのだ。
もう一つ、興味深い傾向は、我々ひのえうま学年以降、いわゆる純文学小説が読まれなくなっていくことだ。特に、70年代まで日本文学を牽引してきた大江健三郎が、左翼的雰囲気を嫌うゆえに読まれなくなる。
その代わりに、W村上や吉本ばななが読まれ、その流れで若い小説好きはラノベなどにシフトしていったように見える。左翼思想系の小説が80〜90年代に廃れることと、ラノベとそれ以前からの角川文庫へのシフトとが並行していた。さらに、90年代以降、バブルの名残にしがみついたいわゆる「J文学」の興隆があった。この軽薄短小の好みは、21世紀をまたいで、携帯電話文化に飲み込まれていく。紙の本が敬遠され、携帯小説などネット読書へ流れていったのだ。
その後、ゼロ年代から2010年代前半まで、ひのえうまより若い世代にはリベラル思想が流行し、一時は日本国の政治情勢も変化させそうに見えたこともあった。けれど、結果的には見掛け倒しの思想かぶれがほとんどだったようだ。2010年代以降は、若い世代が完全に保守反動化し、今のように極右まで流れていく傾向が強まる。このような両極端な振れ方は、おそらくはひのえうま世代以後、思想的な基準点というものがないせいではなかろうか。
ひのえうま世代以後の我々は左翼系・リベラル思想を深く考えないまま中年になってきた。ひのえうま世代より上、しらけ世代や団塊までは、多かれ少なかれ思想的に基準となる何かを持っていたように見える。それが学生運動であれ、逆の保守思想であれ、またシラケのノリであれ、各々の基準点が見えやすかった。我々ひのえうま世代からは、そういった思想の基準が失われてしまったように思えるのだ。
ひのえうま世代は、新課程が始まった学年であり、当時は学校でも蔑称として「新人類」と呼ばれた。思想の基準点がないという観点からは、新人類の呼び名も意外と当てはまるのではないか。良かれ悪しかれ、それ以前の世代とは決定的にズレ始めた起点が、我々の学年なのだ。
※参考
しん‐じんるい【新人類】
従来なかった考え方や感じ方をする若い世代を、新しく現れた人類とみなしていう語。昭和60年ごろから広まった。
出典 小学館デジタル大辞泉
※参考
「1980年代の「新人類」がシニア期へ突入 シニアマーケが大きく変わる潮目を捉えよ」
MarkeZine編集部
https://markezine.jp/article/detail/46951